日本独立リーグ野球機構とは

「日本独立リーグ野球機構」は、四国や関東北信越などを拠点に2リーグ12球団が加盟するプロ野球である。

「日本野球機構(NPB)」のセ・パ両リーグで活躍した選手らが、監督に就任したり、現役生活を続けたりしている。

ここを足がかりにNPB入りする選手もいる。

日本野球機構のプロ野球とは別組織でリーグ戦をする。

2014年9月に設立された日本独立リーグ野球機構には、四国4県のチームの「四国アイランドリーグplus」と新潟、富山、石川、福井、信濃(長野)、群馬、武蔵(埼玉)、福島の8つのチームの「ルートインBCリーグ」が加盟している。

多くの選手がNPB入りした。2012年のパ・リーグの首位打者、角中勝也選手(ロッテ)、2013年に中日にドラフト2位で指名された又吉克樹投手らがいる。

一方、阪神の抑え投手などとして活躍した藤川球児選手は高知に、近鉄などで活躍したタフィ・ローズ選手は兼任コーチとして富山に、加入した。

ヤクルトなどで活躍した岩村明憲監督は2015年季から福島で選手兼監督に就任した。


2008年に参戦した群馬ダイヤモンドペガサス

群馬ダイヤモンドペガサスは、2008年春にBCリーグに参戦した。

2008年1月20日~2月9日にペガサスが練習会場にした群馬県藤岡市は、群馬県内で最も早く支援の手を挙げた。

球団事務所がある群馬県高崎市でも2008年4月9日夜に同様の壮行激励会が持たれ、約300人が集まった。

ペガサスが1つのモデルとしたのは、信濃グランセローズの長野県中野市での実績だった。

人口4万6200人余りの長野県中野市はメーン練習場に応募。

市民が選手のために炊き出しに訪れ、用具を寄付するなど、草の根レベルで支援体制が確立した。

2007年7月の長野県中野市での公式戦は、1600枚のチケットが40分で完売したという。

後援会やスポンサー

2007年季、BCリーグは観客動員で苦戦した。

ペガサスは、後援会を「選挙で言う『基礎票』」として経営基盤固めの最重要課題とした。

2008年4月5日現在の個人会員数は、1350人のペガサスが、約1250人の信濃も押さえて6チーム中トップだった。

新たな「広告塔」としての評価を得て、スポンサー料も、Jリーグ・ザスパ草津との重複を避けながら、1億円のめどをつけた。

最も高価なユニホームの胸に社名を入れたのは、群馬県桐生市の自動車部品メーカー「山田製作所」だった。

群馬県高崎市に2010年をめどに工場進出する森永製菓(東京都)も、「市民に認知してもらいたい」と協力を決めた。

地元ファンの力

リーマンショックで景気が悪化した2008年から2009年にかけて、全国のプロスポーツチームの運営が厳しさを増していた。

群馬ダイヤモンドペガサスは、地元ファンの力を借りて経費削減に取り組んだ。

群馬ダイヤモンドペガサスは開幕前からチケットのもぎりや会場設営などのボランティアを募った。

2009年は、新たに「ボランティア記者」を募集した。

球場で配る試合情報などのチラシ作りに携わってもらった。

勝利戦のインタビュアーの募集も検討した。

球団経営で初の黒字

群馬ダイヤモンドペガサスは2014年度、球団経営で初の黒字を達成した。

地域密着でファン層も広げてきた。

ただ、チームの中心選手に育つとNPBに移籍してしまうという問題もある。

ペガサスの魅力の1つは選手との距離の近さだ。

2014年に優勝したとき、応援団長は選手から胴上げしてもらった。


アレックス・ラミレス氏の加入

2014年シーズンはアレックス・ラミレス氏(当時40歳)=現シニア・ディレクター(SD)=の加入で盛り上がった。

5年ぶりに所属する「BCリーグ」で優勝した。

チームを牽引(けんいん)したのは3冠王を達成したカラバイヨ選手(当時31歳)ら。

2015年シーズンに移籍したオリックスで一時4番を打ち、NPBでも通用することを示した。

ただ、華やかなイメージのあるNPBに比べると、選手が置かれた環境は厳しい。

リーグ規定で月給10万~40万円。シーズンオフは給料が出ない。トレーニングしながらスポンサー企業などでバイトをする選手がほとんどだ。

サポートスタッフも少ない。選手自らも参加して、雨でグラウンドにたまった水をとる。

試合終了後は外野フェンスに取り付けたスポンサーの旗を外す。

元横浜DeNA・伊藤拓郎投手

2014年季まで横浜DeNAに所属した伊藤拓郎投手(当時22歳)は戸惑うこともあったという。

ただ、「思った以上にレベルが高く、野球に集中できています」と話す。

2015年11月にNPB12球団合同で行う入団テストへ挑戦予定という。

ラミレスSDは「BCリーグは若い選手にとって育成の最良の場」と話す。

NPBの選手になる夢を追い続け、実現するチャンスを与える場になっている。


BCリーグの地域社会への挑戦

BCリーグは、地域の子供たちを地域とともに育てることが使命である――。

試合開始前、球場でこんなアナウンスが流れる。野球を通じて地域を盛り上げようとリーグ発足時に掲げられた憲章だ。

「BC」は「Baseball Challenge」の略。選手はNPBへの「挑戦」、球団は地域社会に「挑戦」する。

もっとも球団経営は楽ではない。

育てた選手はNPBへ

2014年度に創設以来初の黒字となったのはNPBの強打者ラミレスSDの存在が大きい。

リーグ優勝を果たしたこともあって1試合平均の観客数が2014年季の1.5倍の1000人余に、グッズの売り上げも伸びた。

ただ、収入の柱の1つ、入場料は減少傾向にある。平均観客数はチーム初年度こそ1600人を超えたが、ラミレス効果が薄れた2015年季は約720人。平日は300人台の試合も多い。

チームが強くなれば観客増も期待できる。

しかし、手塩にかけて育てた選手はNPB入りしてしまう。

外国人選手は、球団に移籍金が入るが、日本人選手はドラフト会議で指名され、入団するため移籍金が入らない。

このため選手たちがNPBでプレーすることになった場合、育成の「対価」を選手が球団に払うことを入団契約時に決めている。ただ、ドラフト上位で指名されない限り契約金などは少なく、「対価」も少ない。

地域への貢献活動

そんな中でこれまで以上に力を入れ始めたのが地域への貢献だ。

本拠の試合の半分以上を開催している群馬県高崎市で2015年季からは高崎市内の3つの中学校の野球部へ指導を始めた。

2015年5月から2015年12月までの毎月、選手が中学生を指導した。